1.1
頬に冷たい感触があって、自分がそこでやっと気を失っていたのだと理解した。
頭痛もなければ吐き気も無い。でも気絶していたらしかった。
まぶたが重い。耳に風を感じる。肌にざらついた痛みがあるのはなぜだろう。
「おーい、だいじょーぶかぁ?えーと、ダイモン・アラタ、っていうのかなこれ?」
誰かに声をかけられた。聞き覚えの無い声だ。でも名前を呼ばれたのできっと知り合いなのだ。誰だ。山田だっけ。田中だっけ。記憶を探る。聞き覚えがない。
そうか、自分は貧血を起こして倒れたってことか。どれくらい倒れていたのだろう。
新太は今日の朝ごはんを抜いてきてしまったことを今更後悔して、それから少し恥ずかしくなった。
昨日は期末テストの追い込みで徹夜をして、朝起きて飯食わないで頭洗って乾かさず出発して電車乗ってそれから覚えていない。
それで、朝の通勤ラッシュの満員電車で―――というわけだ。
まだ頭が少しぼんやりしている気がする。徹夜したのだから眠気はあって当然だ。
「……あああ、すいませんありがとうございますごめんなさい一人で大丈夫ですから」
新太は自分にかけてくれた声の主に、なるべく明るく言えるように答えた。
それから目をあけて、起き上がって、周囲を見回して、鞄を拾って、周囲を見回して、目の前の珍妙な、耳の尖った、背の低い、珍妙な、金髪の少年と、珍妙な、周囲を見回して、空を見上げて、足から腰にかけてズブ濡れになった服の重みを感じ、周囲を見回して、川の流れと音を知り、耳の尖った少年の心配そうな、そうでもなさそうな顔を見て、周囲を見回して、うっそうと茂った木々と、金髪の少年と、その背後にいる謎の化け物のような、ひまわりの花からヒダヒダな触手を何本も生やした生物と、鞄の中身を確かめて、ああ教科書濡れてないや、良かった良かったと安心して、ケータイどこだ、と周囲を見回して、
「ぎゃあああああああああ?!?!?!?!?!?!」
いままでの人生で口にしたこともないほどの声量とトーンで、またとないほど通りの良い叫び声をあげた。これぞ絶叫、といわんばかりの絶叫。
「何これ何君何あれ何これ何どこ何ここ何何何何おかしいオカシイおかしい」
確かに自分は電車に乗っていたはずなのに。
つり革に掴まって、右にはおっぱいの大きなスーツ姿の携帯電話をいじくっているおねえさんが、左には周囲など目もくれず新聞を大きく広げて迷惑かけまくりのオッサンがいたはずなのに。
それが、気を失って目覚めてみれば、尖った耳をもつ金髪の子供、森と川、それからヒダヒダの化け物が。
「……あ、もしかして?って、そんな暇無いな」
少年はそんな新太の様子を見て何かに気づいたようで、背中に手をまわして、ゴソゴソと何かを取り出したかと思ったら弓矢だった。その背後では、ヒダヒダ化け物のヒダヒダがいつのまにか突起物の形に変化している。こちらを狙っていると直感でわかる。
「一応伏せててくれよ多分大丈夫だろうけど一応いろいろショックでしょこっち来たのって時間経ってないだろうし。すぐ終わるから」
少年は恐れる様子もなく一言で言い切って、弓に矢をつがえて、軽く足を踏ん張ったかと思うと、ヒュッと音をたててその場から一瞬にして姿を消した。
数秒後。
ドドドドドドド、と連続して鈍い音が地面に伝ったかと思うと、地面からまっすぐに矢が突き立った。7本。
そのうちの3本がヒダヒダ化け物の顔―――ひまわりの花の部分―――に突き刺さり、その動く植物じみた胴体を突き抜けていた。
キシャアァアァァア、とどこかのアニメか何かで聞いたような荒い息遣いで新太に襲いかかろうとしていた魔物は、その3本の矢によりあっさり絶命したらしく、突起と化していたヒダヒダをユルユルにして、その場に倒れこむ。
その身体が、まるで煙のようにぼんやりと輪郭をゆがめ、崩落していく。そして、瓦礫となった。
新太はその一部始終を食い入るように見つめていた。目が離せなかった。

「もういいよスマンかったね、怖かったっしょ?」
頭上から声がして、新太はその方向を見やる。
森の木々の、低くはない位置の太い枝先に、少年はふらつきもせずに立っていた。
あの一瞬で、あそこまで飛び移ったというのだろうか。新太はにわかにこの事態が信じられない。足もとを流れる川の水は冷たくて、これが紛れもない現実だということを彼に教えるようだ。
その高い枝から少年はひらりと飛び降りると、まるで猫のように華麗に着地した。
そして新太の目の前に立ち、その子供っぽい小さな手を差し伸べて、微笑んで言った。
「オイラはライってんだ。新太ってオマエあれだろ、チキュー?ってとっからやってきたんだろ?ツイてるなあオイラ。オマエツイてないな。あとでお払い受けとこーぜ」
そんなライの問いかけを最後まで聞くことなく、新太はまたしても意識を失った。
ほんとにツイてない。
ってか何で僕の名前知ってんの。
コメントの投稿