4.1
ホテルにティムとナターシャがいたのは結局その当日だけで、翌朝になってみれば二人はとくに伝言も書き置きもなく、煙のようにいなくなっていた。忘れ物の汗くさいバンテージを残して。あまりにも汗くさいので即処分したけれどもまだ臭い。
幾度となくセクハラ発言を繰り広げていた神父もさすがに気を取り直して、早朝の祈りと肥満防止の運動をテラスで行っている。
シロは何事もなかったかのように食事をこなし、睡眠し、ティムとナターシャを見送ったようだった。気の利いた伝言などは受け取っておらず、新太が訊いても首を横に振る。
新太は何かが足りないなぁと思って部屋を見回してみて、そういえばライがいないことに気付いた。
神父に訊いてみると、あの子ぁアレだ秋の空だな、と言われた。わけがわからない。
わけがわからないなりに思い出してみれば、昨晩からのライの様子は新太から見ても明らかにおかしくて、心ここにあらずというか、そぞろ歩きを繰り返していたのが新太にはやけに気にかかっていた。
それまでずっと単純明快単刀直入脳天ピーカンな奴だよなと思っていたから、秋の空どころか嵐の前触れのようにも感じられてしまって、心配になる。
朝食のバイキングをすませて部屋に戻ろうとロビーを横切ると、奥から浴衣姿のライとすれ違った。
「あ、おっおおっお、はよっ」
動転して声が裏返る。
顔を上げたライは昨日の沈みっぷりが嘘だったかのように脳天気そうな顔をしていた。
「おー新太、おはよー。昨日はよく寝れたか?」
「……むしろ寝すぎたくらいじゃないかと……」
新太は気だるく言って鼻をかいた。
というのも、前日にティムに強引に酒を飲まされたからで、記憶はあるが良い記憶でもない。ただただ気持ち悪くてただただ疲れた。そんな夜と睡眠。
「ああー酒飲まされてたもんなーお前弱すぎー。飲ミュニケーション大事だぞ、世の中渡ってくにゃー。根回し出来ん」
「未成年で酒に強いってあんまいないでしょ」
というかどこの団塊世代だ、その台詞は。
言いかけて、そういえば、と言葉を次いだ。
「ライってさ」
「あン?」
「歳、いくつ?」
風呂場の横で売っていたらしい瓶牛乳の蓋をあけて一気飲みして大きく息をついて、腕をまわして肩をゴキゴキ鳴らして、ライがニッコリ微笑んだ。
「世の中知らなくていいコトとか、知ってもしょうがないコトとか、知らなければ良かったコトってあると思わんかい?」
ちょっと怖い。
―――が、その態度が、彼の年齢が見た目どおりではないという事実を新太に知らしめるのだった。
少なくともあの男女―――ティムやナターシャと同年代あるいはそれ以上なのだろう。会話から判断する。
もう何週間も一緒にいるのだから、今更態度を変えるなんてことはしないけれど。そもそもティムとナターシャの歳も知らない。ああ見えて40とか50とか行ってるのがファンタジー作品の常で……考えないことにする。
「知っておけばよかった、なんてことにならなければ良いけど」
軽く皮肉を言ってみたら無視された。
二人で部屋に戻ると、祈りと運動を終えた神父がシロに踏みつけマッサージをされている真っ最中。
「そのうち逮捕されますよ、ソレ」
太陽が真上に昇ったあたりで、一行はサーズベルグを発った。
そういえば神父さんはどこが目的地なんですか、とものすごい今更な質問をしてみたら、
「リーデルベルクだぁ。ホレこないだ言ったとおりシロがアレだで、ジュジュチュガクテキチョーチャを」
「じゅじゅ……何?」
「ジュジジュガクテチチョ、アイテテ舌噛んだ」
「呪術学的調査」
「そうそうそれそれ、若いっていいなァ舌まわって」
割って入ったライも、何か知っているらしい。
呪いについての話は以前聞いていたから、呪術学的調査とやらの雰囲気はなんとなくわかる。人は知りたがりなのだ。それこそ他人の年齢だとか。
「シロに憑いとる呪いてェのはかンなり難解かつ珍しい代物らしくてなあ、ジュジュチュガク、民族学、魔学、とまァ~いろんな学者さんからオファー受けてるわけでよ」
あっけらかんと神父が言い放つ様子に新太が目を見開いた。
「でもそれって……まるで実験動物じゃないですか」
「んー、そういう言い方もあるかもしらんね」
神父の物言いはあくまで冷静だ。
何か言いたそうにモジモジし始めた新太を制止して続ける。
「先例が無い事象ってのはだ、害をなすモノでありゃ研究して解決策を探ることは将来のために必要なワケだァよ。ソレの難易度が高ければ高い程。まー研究者の皆が皆そんなウツクシイ理由でやってるわけじゃないのは百も承知なうえでよ。いろいろあって社会てェ~のはバランスが取れてるちゅーこった。あーちなみにオファーに関してはシロ本人が了承済みだから、これ以上追求しても何も出んよ」
まーぁた俗じみたこと言ってる、とライが横やりを入れた。
「語りすぎた私?大人だもの、それくらいええじゃないか。ワハハ」
それってどっちかというと大人の身勝手じゃなかろうか。
そう思っていられるうちが、子供でいられるうちなのかもしれなかった。
シロがふと新太を一瞥して、新太がそれに気づく。
抑えられた感情。どこまでが真実かわからない。
「なぁーシロ、ちょっと訊いて良いか?」
少し先を歩いていたライが、振り向いて問うた。
「歌、歌えるか?」
質問内容がすでに意味不明だ。
シロは返事に困ったのか、もともと寡黙な性格なのにさらに黙りこくってしまって、まるで置物みたいだ。
さすがにライも慌てて、
「あーいやそんな深く考えなくていいから。オイラが悪かった。もう訊かない」
そう言って頭を下げた。
……やっぱり、なんかおかしい。
新太は訝しげにライを見て、改めて思うのだった。
歳、いくつなんだろ。
(ライってどんな奴なの?っていう話にするつもりです)
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